8年忌

さくママ

2008年02月27日 12:17

最初の子供を亡くして、今日で丸7年が過ぎます。

私たち夫婦には、エイトの前に一人、男の子がいました。

戸籍上、エイトは次男、リュウビは三男です。



夫とお付き合いが始まり、すぐに妊娠してしまい、トントン拍子で結婚へ・・・。


初めての産婦人科、もちろん初めての妊娠・・・・

赤ちゃんって、妊娠したら普通に当たり前に生まれてくるのだと思っていた。




結婚式の準備や仕事もしていたので忙しい毎日を過ごしていたある日、

夜、寝る前にトイレに行き、用を足して立ち上がると・・・

ゴムまりのようなものが下りてくる感触・・・手で触れる・・・

これは出してはいけない!!と、思わず手で中へ押し込み・・・

痛みも出血もないのに、なんじゃこりゃ・・・


夜遅くでしたが病院へ電話し、状況を説明。

「出血も痛みもないのなら、安静にして明朝一番で来なさい」
とのこと。

翌朝、にぶーい陣痛のような痛みとともに出血。


通っていた産婦人科で、「生まれるよ・・・なんでもっと早く気がつかなかったの・・」

私の不甲斐無さを指摘され、総合病院へ救急車で搬送。


その後、絶対安静で、深刻な事態だと初めて聞かされる。

妊娠7ヶ月と2週間くらいでした。


入院2日後、自然分娩で出産。陣痛も丸2日続きました。


産後4時間ほどして、私も少し落ち着いたときに車椅子に乗せられ、
NICU(乳幼児集中治療室)にいる初めての我が子と対面。

私は正直、見るに耐えない超未熟児を想像していたので、見るのが怖かったですが・・・

そこにいる我が子は、なんとかわいいことでしょう!!

指もちゃんと5本あるし爪もはえてる、目もまつ毛がしっかりはえている。

「なんでー、だいじょうぶさー」

しかし、呼吸器官がまだ出来てなくて、息が出来ず、

頭の上が黒く内出血しているのが見てわかりました。

先生が「きれいにしてあげましょうね」

鼻から通していた管を抜き、私に抱かせてくれました。


とたんに、涙があふれ、よく顔を見れず・・・

夫が号泣したのを、後にも先にもこのとき以外見たことがありませんでした。


738g、名前を天(テン)と名づけ、今は沖縄の宜野湾市にあるお寺で預かっていただいています。




あれから半年少しして、エイトを妊娠。

その際、病院選びに力を入れ、信頼する病院と出会うことが出来ました。

私は「子宮頚管無力症」という体質のようで、おなかの赤ちゃんが大きくなってくると、その重みで子宮の口が痛みもなく開いてきてしまうらしいです。

エイトのときも、リュウビのときも妊娠初期の段階で、子宮口を縛る手術の末、無事臨月までもち、現在のような「がんじゅーわらび(元気な子供)」を持つことが出来ました。


全部、テンのおかげです。

テンが命を懸けて、教えてくれたこと。



私は、テンのおかげで、それまでのなーなーな(中途半端な)自分を見直すことが出来ました。


私たち家族が、今日もこうして幸せでいれるのも、すべてテンのおかげ。




予算の都合で、沖縄に帰れないけど、

ここから「ウートートー」していますよ


朝起きて、一番水を供えたのと、朝食に子供たちが食べたのと合わせて練乳がけイチゴとお茶もお供えしました。

仏壇もないから、本当に、気持ちだけですが・・・。

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