東京では慰霊の気持ち、薄いね~(T_T)

さくママ

2008年06月23日 11:49

おはようございます!


今日は、沖縄・慰霊の日ですね



今朝、新聞(毎日新聞)を読んで、慰霊の日ネタを探したんですが・・・・


何一つないんです・・・・・信じられんよね。


去年もなかったです。



東京にとっては、沖縄・慰霊の日なんて、気にもしないんでしょうか・・・。


こんなに沖縄ブームなのにね。都合よく沖縄を見ているのかしら。



まあ、こんなもんなんでしょうか・・・・。





さて、今日のこの日にちなんで、私が感じる身近な沖縄戦の話を。




まず、身内の話。


私の母方のおじー、おばー。

私の母は、戦争中もうすでに生まれていて、2、3才だったようです。

おじーは、徴兵をのがれることができ、おばーと幼い母を連れて、長崎へ疎開。

おばーは、その頃母のすぐ下の弟おじさんがすでにお腹の中にいたそうです。

私たち世代のうちなーんちゅなら誰でもわかる沖縄疎開船「対馬丸」。あんな感じの大きな船で長崎まで。


夜、皆が寝静まっている中、おじーは寝付けず、甲板で過ごす。


いきなり、ドーーーーン!!という大きな音と共に、おじーたちが乗っていた船の前を走っていた同じ疎開船が、大きな炎を上げて沈んでいきました。

そして、その数分後、また、ドーーーーン!!という大きな音。

今度は、後ろを走っていた船に・・・・。


3隻で長崎に行くはずの疎開船。おじーたちが乗っていた真ん中の船だけが、無事、長崎に到着・・・。



母は、そのことを覚えていないようです。


そして、長崎で数年を過ごす。


おばーは、幼い母と弟おじさんを、慣れない土地で育て、おじーは家族のためせっせと働く。


そんな中、おじーは長崎の原爆に会います。


これまた幸い、怪我はありませんでしたが、おじーは被爆者手帳を持っています。



その後、沖縄へ帰り、島へ帰り、我が家を作り、子供たちを食べさせて行くため、

おじーおばーがやってきた努力というものは、私たちの想像を絶する苦労だったことでしょう・・・。



「数々の奇跡が重なり、今のおまえたちがあるんだよ・・・」


というお話を、私たち、孫は小学校夏休みの間、毎年、おじーの膝の上で聞かされました。





次に、私の小学校6年の時の担任の先生の話。



私の小6の担任の先生は、「ひめゆり部隊」の生き残りの一人です。



毎日のように、沖縄戦の話、先生が実際、目の前で起きた出来事、そのときの感情、亡くなっていった友達・・・・、いつも泣きながら話してくれました。


あの頃は、耳にタコで、給食を残すたびに「戦争中は何一つ食べるものがなかったんだから・・・」と段々うざったく思っていましたが、でも、幼い私たちが衝撃を感じられる話は、やっぱり、この先生の話でした。



忘れていましたが、今、この記事を書きながら、だんだんと蘇ってきます・・・。




「ひめゆり部隊」、知ってますか?


詳しくは、ネットなどで調べてくださいね。
http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/himeyuributai.htm



私が、今、一番思う出す話しは、ひめゆり部隊が解散命令を受けて、それぞれ逃げなさい!と言われてからの話です。


今まで散々こき使われ、身も心もボロボロで、思考回路ゼロ状態で「解散!逃げなさい!」と言われても、どこにどう逃げていいものか・・・。

辺りには無数の死体・・・。一緒に走っていた友達も気づけばいない・・・と思ったら、米兵に撃ち殺されているのを見た!

先生は声を上げることもできず(声を出せば自分もバレルから)、隠れるところがない・・・。

とっさに、無数の死体の中に飛び込む・・・!死んだ振りを・・・。


米兵は、ゆっくり見回り・・・・なんと、死体を鉄砲で撃ちだした!!

先生は、息を潜め、その様子を目を閉じてじっとこらえる・・・。

また一人また一人・・・すでに死んでいる人を・・・。もうだめだ・・・私もやられる・・・。
なぜか、先生の目の前で、米兵は撃つのを止め、去っていった・・・。



先生は、奇跡だと浸っている間もなく、また、逃げた・・・・。〇〇ちゃん、ごめんね~。友達の死を思いながら・・・。




先生は、自分が生き残ってしまい、とても、苦しかったそうです。

先生も死んでしまおうと、何度も思ったそうです。

しかし、死ななかったのは、亡くなったたくさんの命のため、無念のため、当時の日本の間違った教育のため、次の世代に命がけで伝える義務・使命感・・・。そのために、先生は、生き残らされたんだ・・・・。とおっしゃっていました!!





今現在、私がこうしていられること・・・エイトとリュウビが元気でいてくれていること・・・・。


全て、たくさんの奇跡が重なってできたこと。


沖縄が、あんな苦しい戦争に耐え、生き返ったからこそ。

おじーおばー、親たちが、食べれなかった時代を乗り越えたからこそ。




さあ、もうすぐ、正午です。


南に向かって、ウートートーします・・・



沖縄の数多くの賢人たちよ・・・・どうぞ、私たちが間違った方向へ行かないように、お導きください。


「命どぅ宝」  私も、子供たちに語り継いでいけますように・・・




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