2008年06月23日
東京では慰霊の気持ち、薄いね~(T_T)
おはようございます!
今日は、沖縄・慰霊の日ですね
今朝、新聞(毎日新聞)を読んで、慰霊の日ネタを探したんですが・・・・
何一つないんです・・・・・
信じられんよね。
去年もなかったです。
東京にとっては、沖縄・慰霊の日なんて、気にもしないんでしょうか・・・。
こんなに沖縄ブームなのにね。都合よく沖縄を見ているのかしら。
まあ、こんなもんなんでしょうか・・・・。
さて、今日のこの日にちなんで、私が感じる身近な沖縄戦の話を。

まず、身内の話。
私の母方のおじー、おばー。
私の母は、戦争中もうすでに生まれていて、2、3才だったようです。
おじーは、徴兵をのがれることができ、おばーと幼い母を連れて、長崎へ疎開。
おばーは、その頃母のすぐ下の弟おじさんがすでにお腹の中にいたそうです。
私たち世代のうちなーんちゅなら誰でもわかる沖縄疎開船「対馬丸」。あんな感じの大きな船で長崎まで。
夜、皆が寝静まっている中、おじーは寝付けず、甲板で過ごす。
いきなり、ドーーーーン!!という大きな音と共に、おじーたちが乗っていた船の前を走っていた同じ疎開船が、大きな炎を上げて沈んでいきました。
そして、その数分後、また、ドーーーーン!!という大きな音。
今度は、後ろを走っていた船に・・・・。
3隻で長崎に行くはずの疎開船。おじーたちが乗っていた真ん中の船だけが、無事、長崎に到着・・・。
母は、そのことを覚えていないようです。
そして、長崎で数年を過ごす。
おばーは、幼い母と弟おじさんを、慣れない土地で育て、おじーは家族のためせっせと働く。
そんな中、おじーは長崎の原爆に会います。
これまた幸い、怪我はありませんでしたが、おじーは被爆者手帳を持っています。
その後、沖縄へ帰り、島へ帰り、我が家を作り、子供たちを食べさせて行くため、
おじーおばーがやってきた努力というものは、私たちの想像を絶する苦労だったことでしょう・・・。
「数々の奇跡が重なり、今のおまえたちがあるんだよ・・・」
というお話を、私たち、孫は小学校夏休みの間、毎年、おじーの膝の上で聞かされました。
次に、私の小学校6年の時の担任の先生の話。
私の小6の担任の先生は、「ひめゆり部隊」の生き残りの一人です。
毎日のように、沖縄戦の話、先生が実際、目の前で起きた出来事、そのときの感情、亡くなっていった友達・・・・、いつも泣きながら話してくれました。
あの頃は、耳にタコで、給食を残すたびに「戦争中は何一つ食べるものがなかったんだから・・・」と段々うざったく思っていましたが、でも、幼い私たちが衝撃を感じられる話は、やっぱり、この先生の話でした。
忘れていましたが、今、この記事を書きながら、だんだんと蘇ってきます・・・。
「ひめゆり部隊」、知ってますか?
詳しくは、ネットなどで調べてくださいね。
http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/himeyuributai.htm
私が、今、一番思う出す話しは、ひめゆり部隊が解散命令を受けて、それぞれ逃げなさい!と言われてからの話です。
今まで散々こき使われ、身も心もボロボロで、思考回路ゼロ状態で「解散!逃げなさい!」と言われても、どこにどう逃げていいものか・・・。
辺りには無数の死体・・・。一緒に走っていた友達も気づけばいない・・・と思ったら、米兵に撃ち殺されているのを見た!
先生は声を上げることもできず(声を出せば自分もバレルから)、隠れるところがない・・・。
とっさに、無数の死体の中に飛び込む・・・!死んだ振りを・・・。
米兵は、ゆっくり見回り・・・・なんと、死体を鉄砲で撃ちだした!!
先生は、息を潜め、その様子を目を閉じてじっとこらえる・・・。
また一人また一人・・・すでに死んでいる人を・・・。もうだめだ・・・私もやられる・・・。
なぜか、先生の目の前で、米兵は撃つのを止め、去っていった・・・。
先生は、奇跡だと浸っている間もなく、また、逃げた・・・・。〇〇ちゃん、ごめんね~。友達の死を思いながら・・・。
先生は、自分が生き残ってしまい、とても、苦しかったそうです。
先生も死んでしまおうと、何度も思ったそうです。
しかし、死ななかったのは、亡くなったたくさんの命のため、無念のため、当時の日本の間違った教育のため、次の世代に命がけで伝える義務・使命感・・・。そのために、先生は、生き残らされたんだ・・・・。とおっしゃっていました!!
今現在、私がこうしていられること・・・エイトとリュウビが元気でいてくれていること・・・・。
全て、たくさんの奇跡が重なってできたこと。
沖縄が、あんな苦しい戦争に耐え、生き返ったからこそ。
おじーおばー、親たちが、食べれなかった時代を乗り越えたからこそ。
さあ、もうすぐ、正午です。
南に向かって、ウートートーします・・・


沖縄の数多くの賢人たちよ・・・・どうぞ、私たちが間違った方向へ行かないように、お導きください。
「命どぅ宝」 私も、子供たちに語り継いでいけますように・・・

今日は、沖縄・慰霊の日ですね

今朝、新聞(毎日新聞)を読んで、慰霊の日ネタを探したんですが・・・・
何一つないんです・・・・・

去年もなかったです。
東京にとっては、沖縄・慰霊の日なんて、気にもしないんでしょうか・・・。

こんなに沖縄ブームなのにね。都合よく沖縄を見ているのかしら。

まあ、こんなもんなんでしょうか・・・・。
さて、今日のこの日にちなんで、私が感じる身近な沖縄戦の話を。


まず、身内の話。
私の母方のおじー、おばー。
私の母は、戦争中もうすでに生まれていて、2、3才だったようです。
おじーは、徴兵をのがれることができ、おばーと幼い母を連れて、長崎へ疎開。
おばーは、その頃母のすぐ下の弟おじさんがすでにお腹の中にいたそうです。
私たち世代のうちなーんちゅなら誰でもわかる沖縄疎開船「対馬丸」。あんな感じの大きな船で長崎まで。
夜、皆が寝静まっている中、おじーは寝付けず、甲板で過ごす。
いきなり、ドーーーーン!!という大きな音と共に、おじーたちが乗っていた船の前を走っていた同じ疎開船が、大きな炎を上げて沈んでいきました。
そして、その数分後、また、ドーーーーン!!という大きな音。
今度は、後ろを走っていた船に・・・・。
3隻で長崎に行くはずの疎開船。おじーたちが乗っていた真ん中の船だけが、無事、長崎に到着・・・。
母は、そのことを覚えていないようです。
そして、長崎で数年を過ごす。
おばーは、幼い母と弟おじさんを、慣れない土地で育て、おじーは家族のためせっせと働く。
そんな中、おじーは長崎の原爆に会います。
これまた幸い、怪我はありませんでしたが、おじーは被爆者手帳を持っています。
その後、沖縄へ帰り、島へ帰り、我が家を作り、子供たちを食べさせて行くため、
おじーおばーがやってきた努力というものは、私たちの想像を絶する苦労だったことでしょう・・・。
「数々の奇跡が重なり、今のおまえたちがあるんだよ・・・」
というお話を、私たち、孫は小学校夏休みの間、毎年、おじーの膝の上で聞かされました。
次に、私の小学校6年の時の担任の先生の話。
私の小6の担任の先生は、「ひめゆり部隊」の生き残りの一人です。
毎日のように、沖縄戦の話、先生が実際、目の前で起きた出来事、そのときの感情、亡くなっていった友達・・・・、いつも泣きながら話してくれました。
あの頃は、耳にタコで、給食を残すたびに「戦争中は何一つ食べるものがなかったんだから・・・」と段々うざったく思っていましたが、でも、幼い私たちが衝撃を感じられる話は、やっぱり、この先生の話でした。
忘れていましたが、今、この記事を書きながら、だんだんと蘇ってきます・・・。
「ひめゆり部隊」、知ってますか?
詳しくは、ネットなどで調べてくださいね。
http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/himeyuributai.htm
私が、今、一番思う出す話しは、ひめゆり部隊が解散命令を受けて、それぞれ逃げなさい!と言われてからの話です。
今まで散々こき使われ、身も心もボロボロで、思考回路ゼロ状態で「解散!逃げなさい!」と言われても、どこにどう逃げていいものか・・・。
辺りには無数の死体・・・。一緒に走っていた友達も気づけばいない・・・と思ったら、米兵に撃ち殺されているのを見た!
先生は声を上げることもできず(声を出せば自分もバレルから)、隠れるところがない・・・。
とっさに、無数の死体の中に飛び込む・・・!死んだ振りを・・・。
米兵は、ゆっくり見回り・・・・なんと、死体を鉄砲で撃ちだした!!
先生は、息を潜め、その様子を目を閉じてじっとこらえる・・・。
また一人また一人・・・すでに死んでいる人を・・・。もうだめだ・・・私もやられる・・・。
なぜか、先生の目の前で、米兵は撃つのを止め、去っていった・・・。
先生は、奇跡だと浸っている間もなく、また、逃げた・・・・。〇〇ちゃん、ごめんね~。友達の死を思いながら・・・。
先生は、自分が生き残ってしまい、とても、苦しかったそうです。
先生も死んでしまおうと、何度も思ったそうです。
しかし、死ななかったのは、亡くなったたくさんの命のため、無念のため、当時の日本の間違った教育のため、次の世代に命がけで伝える義務・使命感・・・。そのために、先生は、生き残らされたんだ・・・・。とおっしゃっていました!!
今現在、私がこうしていられること・・・エイトとリュウビが元気でいてくれていること・・・・。
全て、たくさんの奇跡が重なってできたこと。
沖縄が、あんな苦しい戦争に耐え、生き返ったからこそ。
おじーおばー、親たちが、食べれなかった時代を乗り越えたからこそ。
さあ、もうすぐ、正午です。
南に向かって、ウートートーします・・・



沖縄の数多くの賢人たちよ・・・・どうぞ、私たちが間違った方向へ行かないように、お導きください。
「命どぅ宝」 私も、子供たちに語り継いでいけますように・・・
Posted by さくママ at 11:49│Comments(6)
│命どぅ宝
この記事へのコメント
本日『慰霊の日』。。。こちらはお休み(学校三連休)
二号が先週末に『対馬丸』の本をかりてきた・・・。
私はマンガや映画で『対馬丸』のお話しを知っている。
しかし・・・体験者でないので二号へうまく読み聞かせができずにいた。
本日正午の時報で二号。。。山に向かい手を合わせている!
・・・私が言ったわけでもないのに・・・。
私も小学一年の担任は「ひめゆり」出身。
そう・・・給食を残すとブツブツ言われ、正直ミミタコ。
なのに。。。戦争→この担任!
こうして何不自由なく幸せを改めて実感した『慰霊の日』でした。
しかし。。。焦げるような暑さ!
こちらのマスメディア『慰霊の日』満載でした。
二号が先週末に『対馬丸』の本をかりてきた・・・。
私はマンガや映画で『対馬丸』のお話しを知っている。
しかし・・・体験者でないので二号へうまく読み聞かせができずにいた。
本日正午の時報で二号。。。山に向かい手を合わせている!
・・・私が言ったわけでもないのに・・・。
私も小学一年の担任は「ひめゆり」出身。
そう・・・給食を残すとブツブツ言われ、正直ミミタコ。
なのに。。。戦争→この担任!
こうして何不自由なく幸せを改めて実感した『慰霊の日』でした。
しかし。。。焦げるような暑さ!
こちらのマスメディア『慰霊の日』満載でした。
Posted by るんるん at 2008年06月23日 21:40
おはようございます(^-^)
昨日は出先で
祈りました
さくママさん!
今電車の中で読ませていただきました
泣けてきます
恥ずかしいです
素晴らしいお話
ありがとうございます(^-^)
日本の全国民が
過去の思いと
これからの希望を夢見て
手を合わせられる日が来るように
願うかぎりです
さくママさん
弟子にしてください(^-^)
昨日は出先で
祈りました
さくママさん!
今電車の中で読ませていただきました
泣けてきます
恥ずかしいです
素晴らしいお話
ありがとうございます(^-^)
日本の全国民が
過去の思いと
これからの希望を夢見て
手を合わせられる日が来るように
願うかぎりです
さくママさん
弟子にしてください(^-^)
Posted by TADARIN at 2008年06月24日 07:14
るんるんさん、おはよう!
次男坊、えらいね(^_^)
山に向かってウートートーとは、なかなかいいぞ!!
山が、神様的存在なんかナ~。
昨夜は、NEWS23を見て、慰霊の日の夜を過ごしました。
るんるんさんの小学校担任もひめゆり生存者だったんだね。
すごい!!ひめゆりの方たち、教育者になってる人多いね。
やっぱり、教育の重大さをわかっているんでしょうね・・・。
わった~世代も、がんばらんといけんね~!!
次男坊、えらいね(^_^)
山に向かってウートートーとは、なかなかいいぞ!!
山が、神様的存在なんかナ~。
昨夜は、NEWS23を見て、慰霊の日の夜を過ごしました。
るんるんさんの小学校担任もひめゆり生存者だったんだね。
すごい!!ひめゆりの方たち、教育者になってる人多いね。
やっぱり、教育の重大さをわかっているんでしょうね・・・。
わった~世代も、がんばらんといけんね~!!
Posted by さくママ
at 2008年06月24日 11:04

TADARINさん、おはようございます!
長~い記事になってしまい、読みづらかったでしょう。すみません!
昨日、この記事を書くまで、おじーおばーの苦悩の日々や、
先生のこと・・・忘れていたんです(^_^;)
書きながら、思い出しました!
平和ボケしすぎて、忘れていました!
特に、私たち、うちなーんちゅは、ご先祖様のためにも、
せめて年に1回の慰霊に日だけでも、沖縄戦のこと、思い出さなくてはいけないなーと感じました。
そして、子供たちに話していかなくてはいけない使命を背負っているのだと。
長~い記事になってしまい、読みづらかったでしょう。すみません!
昨日、この記事を書くまで、おじーおばーの苦悩の日々や、
先生のこと・・・忘れていたんです(^_^;)
書きながら、思い出しました!
平和ボケしすぎて、忘れていました!
特に、私たち、うちなーんちゅは、ご先祖様のためにも、
せめて年に1回の慰霊に日だけでも、沖縄戦のこと、思い出さなくてはいけないなーと感じました。
そして、子供たちに話していかなくてはいけない使命を背負っているのだと。
Posted by さくママ
at 2008年06月24日 11:10

さくママさん
途中までしか読めなかったので、あらためて
さくママのブログを読み返し。
忘れちゃいけない歴史の中、私達は沖縄にいさせて
もらってるんだなあと実感。
元気なおじい、おばあを見るたびに、すごい時代を生き抜いて
いらしたんだなあ、と思わずにはいられません。
慰霊の日、沖縄だけのことじゃないのにね。
命どう宝、今私達が元気で暮らしてることに感謝ですね!
又いつかこのお話きかせてくださいね。
途中までしか読めなかったので、あらためて
さくママのブログを読み返し。
忘れちゃいけない歴史の中、私達は沖縄にいさせて
もらってるんだなあと実感。
元気なおじい、おばあを見るたびに、すごい時代を生き抜いて
いらしたんだなあ、と思わずにはいられません。
慰霊の日、沖縄だけのことじゃないのにね。
命どう宝、今私達が元気で暮らしてることに感謝ですね!
又いつかこのお話きかせてくださいね。
Posted by 沖縄的雑貨 イナミ
at 2008年06月24日 17:37

イナミさん、おはようございます!!
長~い記事で、申し訳ないです・・・(^_^;)
旦那に「もっと、読みやすく、短くしれ~」って注意されちゃいました。
私は、子供の頃、学校やおじーおばーから戦争の話を聞いて、
子供だったから余計に、強烈な印象を受けました。
リュウゲンやジゲンたちも、この沖縄で暮らしていくなら、
しっかりとした「平和学習」が受けれるはずね!
私は、いいことだと思うよ。
命の重さを知る・・・・現代の子供たちには必要だよね!
夏休み、7/17~8/2まで、沖縄帰ります!!
ジゲン、見せてね(^0^)V
長~い記事で、申し訳ないです・・・(^_^;)
旦那に「もっと、読みやすく、短くしれ~」って注意されちゃいました。
私は、子供の頃、学校やおじーおばーから戦争の話を聞いて、
子供だったから余計に、強烈な印象を受けました。
リュウゲンやジゲンたちも、この沖縄で暮らしていくなら、
しっかりとした「平和学習」が受けれるはずね!
私は、いいことだと思うよ。
命の重さを知る・・・・現代の子供たちには必要だよね!
夏休み、7/17~8/2まで、沖縄帰ります!!
ジゲン、見せてね(^0^)V
Posted by さくママ
at 2008年06月26日 10:46
